ヨハン・アドルフ (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ公)
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ヨハン・アドルフ Johan Adolf | |
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シュレースヴィヒ公 ホルシュタイン公 シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ公 ブレーメン大司教 リューベック司教 | |
在位 | 1590年 - 1616年 |
出生 |
1575年2月27日 |
死去 |
1616年3月31日(41歳没) |
配偶者 | アウグスタ・ア・ダンマーク |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ホルシュタイン=ゴットルプ家 |
父親 | シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ公アドルフ |
母親 | クリスティーネ・フォン・ヘッセン |
ヨハン・アドルフ(デンマーク語:Johan Adolf;ドイツ語:Johann Adolf, 1575年2月27日 - 1616年3月31日)は、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ公(在位:1590年 - 1616年)。
生涯
[編集]シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ公アドルフと、その妻でヘッセン方伯フィリップの娘であるクリスティーネの三男として生まれた。父はデンマーク王フレゼリク1世の息子の一人である。ヨハン・アドルフは当初、リューベック司教領の監督者(在任1586年 - 1607年)、ブレーメン司教領の監督者(在任1589年 - 1596年)を務めていたが、二人の兄フレデリク2世とフィーリプが相次いで亡くなったため、公爵位を引き継いだ。リューベックとブレーメンの司教監督者の地位は弟のヨハン・フレデリクに引き継がれた。
子女
[編集]ヨハン・アドルフは1596年、従兄であるデンマーク王フレデリク2世の娘であるアウグスタと結婚し、8人の子供をもうけた。
- フレデリク3世(1597年 - 1659年) - シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ公
- エリーザベト・ゾフィー(1599年 - 1627年) - 1621年、ザクセン=ラウエンブルク公アウグストと結婚
- アドルフ(1600年 - 1631年)
- ドロテア・アウグステ(1602年 - 1682年) - 1633年、同族のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=プレーン公ヨアヒム・エルンストと結婚
- ヘートヴィヒ(1603年 - 1657年) - 1620年、プファルツ=ズルツバッハ公アウグストと結婚
- アンナ(1605年 - 1623年)
- ヨハン(1606年 - 1655年)
- クリスティアン(1609年)
先代 フィーリプ |
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ公 1590年 - 1616年 |
次代 フレデリク3世 |